SG07_宮の坂駅

SG07_宮の坂駅看板東急世田谷線(SG)
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かねっち

駅前に留置された世田谷線の旧車両は、自由に車内に入ることができて、家族連れの憩いの場になっていました。

外観

SG07_宮の坂駅ホーム
SG07_宮の坂駅旧車両

宮の坂駅 ホーム全景

下り(下高井戸方面行)ホームに隣接している世田谷区の宮坂区民センターの敷地内に、かつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄で使用された車両(東急デハ87→江ノ電601)が展示されています。一般公開されていて、昼間は中に入ることができます。


東急電鉄 宮の坂駅に関する情報はこちら

見どころ

豪徳寺

大谿山豪徳寺は、世田谷城主・吉良政忠が、文明12(1480)年に亡くなった伯母の菩提のために世田谷城内に臨済宗弘徳院として創建したと伝えられ、その後、天正12(1584)年に曹洞宗に転じました。寛永10(1633)年、当寺が世田谷領主の彦根藩・井伊家の江戸における菩提寺となり、寺号を藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に基づいて豪徳寺と改号しました。境内には、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼をはじめとする井伊家墓所があり、国指定史跡になっています。

また、招き猫発祥の地とする「招き猫」伝説もあり、豪徳寺の境内には、願いが成就したお礼として数多くの招福猫児(まねぎねこ)が奉納されている、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」があります。

招き猫伝説

江戸時代に彦根藩第二代藩主井伊直孝(藩主1602年 – 1659年)が、鷹狩りの帰りに弘徳院という小寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、藩主一行は寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、寛永10(1633)年、弘徳庵に多額の寄進をし井伊家の江戸の菩提寺と定め、弘徳庵は大寺院の豪徳寺となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/招き猫

また、同じ豪徳寺説でも別の話もあります。

直孝一行が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした、というものである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/招き猫

ひこにゃん/豪徳寺の招き猫

これらの猫をモデルとした著名なキャラクターが、井伊家の居城であった滋賀県彦根市の彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。

招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げ小判を掲示しているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは商家ではなく武家である井伊家の菩提寺であるためであるとされる。豪徳寺は小判を持っていない理由として「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から、としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/招き猫
SG07_豪徳寺参道
豪徳寺_参道
SG07_豪徳寺山門
豪徳寺_山門
SG07_豪徳寺三重塔
豪徳寺_三重塔
SG07_豪徳寺仏殿
豪徳寺_仏殿
SG07_豪徳寺鐘楼
豪徳寺_鐘楼
SG07_豪徳寺本堂
SG07_豪徳寺本堂
SG07_豪徳寺招福殿
豪徳寺_招福殿
SG07_豪徳寺招き猫
豪徳寺_招き猫

豪徳寺には、以前にも参詣したことがあります。⇒詳しくはこちら

世田谷八幡宮

寛治5(1091)年、源義家が、後三年の役(1087-1094)からの帰途、豪雨からの天気快復を待つために十数日間滞在することとなった世田谷の地に、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊を勧請し祀り、里人に対しこの御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するように教えたと言われています。そのときに、兵士に奉祝相撲を取らせたことに由来して、現在でも「奉納相撲」が神事として行われています。

天文15(1546)年に世田谷城主七代目・吉良頼康が社殿を修築造営して再興すると、吉良家の祈願所とされて祭典が執行されてきましたが、天正18(1590)年に豊臣秀吉の関東討伐にて吉良氏は小田原の北条氏と共に滅びました。その後、駿府城から北条氏旧領地の江戸城に入城した徳川家康は、氏神八幡神を崇敬していたことから、天正19年(1591)年に社領11石を寄進して朱印地としました。以来、徳川家代々の将軍が、朱印地として社領11石を寄進する習わしとなりました。

明治時代に入ると、明治5(1872)年に世田谷の総鎮守として郷社宇佐神社となり、旧世田谷村の地および羽根木を氏子地域と定めましたが、終戦後、神社は国家管理を離れると、郷社の社格も廃止されたことから、社名も元来の世田谷八幡宮と復元されました。

奉納相撲(江戸郊外三大相撲)

奉納相撲とは、その勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり、その年の豊作を感謝して奉納する神事であり、境内には土俵や力石があります。
世田谷八幡宮の奉納相撲は、渋谷の渋谷氷川神社、品川の大井鹿嶋神社とともに、江戸郊外三大相撲の一つとされていて、毎年秋の例祭にて東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われています。

SG07_世田谷八幡宮鳥居
世田谷八幡宮_鳥居
SG07_世田谷八幡宮本殿
世田谷八幡宮_本殿

SG07_世田谷八幡宮世田谷招魂社
世田谷八幡宮_世田谷招魂社
SG07_世田谷八幡宮高良神社
世田谷八幡宮_高良神社
SG07_世田谷八幡宮土俵
世田谷八幡宮_土俵
SG07_世田谷八幡宮力石
世田谷八幡宮_力石
SG07_世田谷八幡宮厳島神社鳥居
世田谷八幡宮_厳島神社 鳥居
SG07_世田谷八幡宮厳島神社
世田谷八幡宮_厳島神社
世田谷八幡宮 ー 江戸三相撲の名所 ー
創建は今から約九百数十年前、今も世田谷の鎮守の神様として多くの人達に厚く信仰されています。御鎮座当時に行われた奉納相撲は現在も行われており、江戸時代には江戸三相撲と呼ばれていました

世田谷八幡宮には、以前にも参詣したことがあります。⇒詳しくはこちら

東急世田谷線(SG)
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