
矢切の渡しが現役で運行されていることに驚き!
概要
京成高砂駅から帝釈天を経由して矢切の渡しへ至る散歩コースです。
葛飾は、万葉集では「可都思加」「勝鹿」などと表記されていました。
江戸時代に広まった庚申信仰のおかげで、のどかな農村地帯にあった柴又帝釈天も庚申の日には多くの参拝客で賑わいました。農家が草団子を庚申の日に合わせて出店していた流れで、帝釈天参道には草団子屋が軒を連ねています。
主な見どころ
柴又駅・フーテンの寅像
旅に出る寅さんがさくらの方を振り返ったシーンをモチーフとした寅さんの銅像で、平成11(1999)年に地元商店会と観光客の募金によって、柴又駅前に建てられました。
柴又帝釈天
正式名称は経栄山題経寺と言い、江戸の庶民を苦しめた疫病と飢餓を癒すため、住職の日敬が江戸市中を歩いてご利益を授けたことで帝釈天の名が広まりました。
矢切の渡し
元和2(1616)年に幕府が定めた利根川水系の定船場とは別に農耕民のために許された渡しで、都内で唯一現存しています。